Chronology

参考文献
  • 新穂まち今昔
  • 新穂村史
niibo

縄文遺跡

新穂近辺の縄文遺跡 大野出口

紀元前4000年
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弥生遺跡

新穂近辺の弥生遺跡 矢田ヶ瀬 棚田

紀元前300年
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佐渡の国造

佐渡の国造に大荒木直がなる

135年
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仏教伝来

538年
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大化改新

645年
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古事記完成

712年
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佐渡を三郡に分ける

雑太郡を分けて佐渡を雑太、加茂、羽茂の三郡とする。

721年
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佐渡を遠流の地と定める

724年
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佐渡国分寺建立

佐渡国分寺建立されると言う

764年
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最澄天台宗を開く

805年
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空海真言宗を伝える

806年
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大野清水寺開基と言う

808年
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瓜生屋善光寺開基と言う

911年
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「偽名類緊鈔」完成

同書に「大野郷」の名あり

935年
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須恵器遺跡

瓜生屋善光寺沖城ノ前

1000年
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日吉の神領

この頃、この地方一帯日吉の神領になったという

1000年
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法然専修念仏を唱える

1175年
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親鸞越後に流罪

1207年
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「大宝命相名抄」に新穂の名が初めて見える

1211年
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承久の変

順徳院佐渡に流される

1221年
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地領の所務を議定

1222年
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順徳院臼ヶ滝御幸の伝説あり

1224年
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親鸞「教行信証」整う

1224年
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日吉神社建立という

1226年
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日蓮佐渡に流され塚原に居住する

1271年
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「日吉神社社領注進記」に「新穂庄」とある

1319年
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立連寺建立という

1323年
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薬泉寺建立という

1352年
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世阿弥(観世元清)佐渡に流される

1434年
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西三川砂金山始まるという

1460年
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大早で大凶作

島内餓死多数

1472年
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新穂村より下新穂村分村する

1492年
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新穂銀山盛り

1556年
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潟上浄賢寺開基という

1584年
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上杉景勝佐渡を平定

秀吉佐渡に一国一城令しく

1589年
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新穂銀山栄える

1598年
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相川金銀山大規模な開発進む

1598年
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「佐渡古事記」に新穂市場始まるとある

1600年
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関ケ原合戦

1600年
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慶長検知行われる

1600年
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慶長義民上新穂町平四郎等江戸幕府に直訴

1602年
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佐渡三郡を四分

佐渡三郡を羽田組(七十七ヶ村)、夷組(五十二ヶ村)、大野組(五十四ヶ村)、小木組(七十九ヶ村)に四分 夷町に代官所をおく

1604年
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山王再建

1608年
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河原町出来る

1611年
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田辺十郎左ェ門宗政六代奉行として来任

1613年
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新穂は大野組に属す

1619年
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印銀と言うものを鋳造し佐渡一国限り通用貨幣とした

1619年
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滝沢銀山繁昌

1622年
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百姓分の者木綿たるべし等布達あり

1628年
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天台宗新延寺再び天台宗に復帰運動

天台宗新延寺天正中上杉景勝の指図により真言宗に改めたが、再び天台宗に復帰運動

1628年
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新延寺天台宗となる

1640年
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寛永お条目(十三カ条)

1643年
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滝沢内膳間歩大いに栄える

1645年
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滝沢銀山全盛

1649年
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農民の鉄砲所持禁止される

1649年
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慶安御触書

慶長検地刈高を石高に改め村々に渡す

1649年
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この頃より五人組制始まる

1653年
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児童が市井で紙鳶を上げる事を禁止

1655年
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奴僕等絹布使用禁止

1655年
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金銀山衰微に及ぶ

1655年
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新穂銀山衰微に向かう

1661年
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永楽寛永の所通宝即ち銅銭鉄銭の通用

1661年
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木綿の長さ鯨尺二丈六尺と定める

1665年
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五人組の制度定める

1667年
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神輿造営

1668年
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加茂湖凍結

加茂湖凍結し十一月中旬より翌年二月まで牛馬を通すに危険なし

1682年
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奉行所の指示で神輿の席順決まる

1683年
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二ノ宮の神輿造営

1684年
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山王権現通路とし上新穂弥七屋敷を買う

1686年
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新穂山砥石を掘る

1686年
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前代未聞の大吹雪で元旦の氏神参詣成らず

1687年
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畑野長谷寺大檀那三人衆の中、新穂本間伊兵衛とあり

1692年
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元禄検地行われる

1694年
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本社大宮二宮拝殿再建

1699年
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八王子権現本社再建

1712年
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大野組代官石川三郎左エ門に決まる

1713年
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説教人形、のろま人形

この頃説教人形、のろま人形、京より新穂村に入るという。

1717年
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佐渡で寛永通宝作られる。

1717年
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11月15日地震あり。

1717年
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大野白土山で砂金を掘り始める。

1718年
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新穂村より上新穂村分離独立。

1719年
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国仲大飢饉

1720年
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佐渡古来記刊行

1720年
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八王子権現拝殿再建

1727年
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河原町に町並み造り

河原町に町並み造り、1月20日新穂町蔵之助家より出火 納屋三棟焼失

1729年
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国仲大凶作

国仲大凶作 餓死に瀕したる者一万 飢餓民一日一人五勺の米配付

1738年
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山王に殺生禁断の札立つ。

1739年
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「佐渡名勝志」刊行

1744年
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渡辺巴丈生る。

1747年
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「佐渡風土記」刊行

1747年
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本社大宮二宮相殿再建

1748年
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百姓一揆、奉行罷免される。

1750年
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佐渡代官所を設ける。

1753年
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天候不良で穀物実らず

天候不良で穀物実らず、猿八、小倉、餓死数戸 町内でも飢渇者出る。

1755年
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町内飢渇人に役所に願出

町内飢渇人に役所に願出、米二石八斗六合を借受。

1756年
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町内飢渇人に役所に願出

町内飢渇人に役所に願出、米三石九斗借受。

1757年
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社会不安で盗賊横行

1757年
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火盗用心のため横目夜番、平夜番を設く。

1759年
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御仕置五人組帖 六九ヶ条

1763年
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聖真寺十禅寺再建

1764年
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七月二十八日夜大雨

新穂町大野川筋 流失家屋五戸 死者一名 末社五社再建

1766年
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新穂町盗難事件

1767年
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ウンカ大発生

1767年
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町内の飢餓人六八人

町内の飢餓人六八人ともなり、役所に願出米六石五斗三ケ月分とし買受、この代金十八貫文

1767年
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島内に百姓一揆おこる。

1767年
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獅子の衣をこしらえる

獅子の衣を一貫四百二十文でこしらえる。

1769年
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相川蔵米を救助米として買受

相川蔵米四石五斗を救助米として買受 一表(五斗)一貫100匁

1769年
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「濡証文連判状」あり。

1770年
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鬼面、神子面寄進

河原田本町宗悦が鬼面二ツ、神子面二ツ寄進という。

1772年
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九月二日広町長吉裏より出火

九月二日広町長吉裏より出火 納屋三棟を焼く。

1773年
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俳人 渡辺巴江死去

1776年
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この頃、佐渡で瓦製造始まる。

1776年
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山王神輿を七台とする事件あり。

山王神輿を七台とする事件あり。 (大宮・二宮を分けること)

1781年
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町内酒造家三軒 村内酒造家十軒

町内酒造家三軒 孫七、三四郎、吉右ェ門

1783年
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飢饉に備えて助合穀制度化される。

1784年
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出火

新穂広町新右ェ門桶小屋より出火八棟を焼く。 一月三〇日上町長三郎より出火 類焼なし。

1784年
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町内を上・中・下の三組に分ける。

1784年
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相川 家数一五五三軒

相川 家数一五五三軒 人数 九七四一人

1785年